みなさんこんにちは!
今回は国会議員岸田文雄(きしだ ふみお)さんの妻である、岸田裕子(きしだ ゆうこ)夫人について紹介します。
特に、岸田裕子さんの経歴について詳しく紹介致しますので是非、最後までお付き合いください。
岸田裕子夫人の経歴は?

岸田裕子さんは1964年広島県出身、現在56歳です。
岸田裕子さんは、広島女学院中学・高校を卒業しています。ネットなどの情報では、大学へは進学しなかったようです。
出身校である、広島女学院は1886年に創設された女子校です。
完全中高一貫であるため、高校からの入学生を募集していません。つまり、中学と高校が一体化した6年生学校ということです。
また、この学校は中国地方屈指の名門お嬢様学校として認知されています。
偏差値は60以上で、文句なしのエリート学校です。
話を戻すと、岸田裕子さんは社長令嬢でもあります。
ネット上の情報では三好(みよし)開発興業株式会社の社長、和田邦二郎さんの娘であるようです。
広島県三好(みよし)市を拠点に事業展開しているため、この社名を命名したのではないでしょうか。
不動産事業を展開しており、ビルや事務所の賃貸を行っています。
1969年4月に会社を設立し、現在の資本金は1200万円です。
どれほどの利益が出ているかは不明ですが、広島県三好市で事業展開するためには十分な資本金を有しているかと思います。
岸田裕子さんは、いわゆる中小企業の社長令嬢です。
名門の広島女学院へ入学したことを踏まえると、会社の業績は順調だったのではないでしょうか。
それと同時に、岸田裕子さんは裕福な家庭で育ったことがわかります。
1988年、お見合いによって岸田文雄さんと結婚しました。岸田裕子さんが24歳、岸田文雄さんが31歳の時でした。

24歳という若さでありながら、貫禄満点。それにしても岸田裕子さんは美人です。令嬢という響きがピッタリの方ですね!
ネット上の情報では、岸田文雄さんがプロポーズの時に告げた言葉を岸田文雄さん自身は忘れてしまったそうです。それに対して、プロポーズを受けた岸田裕子さんは覚えているそうです。
岸田文雄さんは国会議員ということで、とても忙しい方です。日々の忙しさ故、過去の記憶が飛んでしまったのかもしれませんね。
それにしても、当時、地元の中小企業の令嬢と広島を選挙区として活動していた岸田文雄さん。
結婚したのは、岸田文雄さんが父、岸田文武さんの秘書となった翌年でした。
2人にとってとても良いタイミングだったのかもしれませんね!
そんな2人の間には3人の息子たちに恵まれているようです。
https://tantei5.com/kisidahumio-son/
テレビニュースの情報によると、岸田裕子さんは現在、岸田文雄さんの事務所を管理するため広島に住んでいるそうです。
岸田文雄さんと息子たちと東京に住んでいます。

食事中にも関わらずマスクをきっちりと着用する徹底ぶりから、ネットに対する影響力を気にしていることがわかります。
にも関わらず、このSNSの投稿は少し炎上しました。
食事中に岸田裕子さんを立たせているのが昭和的だと批判を受けました。
令和になり、昭和の風潮が何となく嫌われるこの時代。
この投稿に関して、このような形で批判を受けるなんて、岸田文雄さんは思いもしなかったことでしょう。
でも、岸田文武さんも岸田裕子さんもメンタルが強そうな方々ですし、気にも留めないかもしれませんね。
岸田裕子さんは、息子にも恵まれ幸せな人生を送っているのではないでしょうか。
是非、これからも素敵な人生を送って欲しいものですね!
岸田裕子夫人の出身大学や高校の学歴や偏差値は?

そして、大学へは進学しなかったようです。
偏差値は60以上で学歴としては申し分ないでしょう。
また、岸田裕子さんは英語が堪能だそうです。
おそらく、広島女学院が英語に力を入れている学校であることが関係しているでしょう。
岸田裕子夫人の実家はお金持ち?

資本金1200万円で事業を展開し、恐らく事業でそれなりの利益を得ているのではないでしょうか。
三好開発興業株式会社は1969年に会社を設立し、現在まで存続しています。不動産を扱う事業をしているということで、時代の波に大きく左右されやすい業界かと思います。
時代の波に揉まれながら現在も事業を存続できているということは、岸田裕子さんの父親である和田邦二郎さんの経営手腕が卓越しているのでしょう。

岸田裕子さんは、そんな夫を陰で支える存在であり続けて欲しいですね!
まとめ
岸田裕子さんは将来、総理大臣夫人になるかもしれません。岸田裕子さんはその名に十分ふさわしい方です。
是非、これからも岸田裕子さんらしい人生を歩んで欲しいですね!

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。