現在メキメキと、頭角を現している、「金属バット」という笑いコンビを、知っているでしょうか。顔は、怖いと有名ですが、最近では、テレビに出る回数も増えてきています。
今回は、お笑いコンビ「金属バット」の片方である、小林圭輔さんの出身中学校や高校、最終学歴について、ご紹介していきます。
小林圭輔(金属バット)の出身中学校はどこ?
金属バットは、日本のお笑いコンビとして、活動しており、吉本興業に、所属しています。2006年4月に、金属バットを結成しました。
大阪吉本では、ありますが、よしもと漫才劇場には、所属しておらず、劇場メンバーに、入るための、オーディションライブである「UP TO YOU!」にも、2016年2月以降出演していません。

小林圭輔さんの簡単なプロフィール
性別・男性
生年月日・1986年03月06日
身長/体重・182cm /70kg
血液型・A型
出身地・大阪府 堺市
趣味・ネットサーフィン
特技・パソコン関係
出身/入社/入門・NSC大阪校 29期
小林圭輔さんの出身中学は、大阪府堺市立旭中学校となっています。
出身も堺市なので、地元の学校を、選んだのでは、ないでしょうか。
中学時代は、小林圭輔さんと、俳優である、大東駿介さんは、同級生であり、親友であったようです。

実は、小林圭輔さんは、大東駿介さんの、大恩人であもあるようです。
大東俊介さんの、幼少期は複雑な家庭環境をしており、タクシーの、運転手をしていた父親は、大東俊介さんが、小学3年生の時に蒸発しています。
もともと、家でも、会うことがあまりなく、誕生日だけは、父親の、タクシーの中で、会うという生活を、しました。
残された母親も、中学2年生の時に、いきなり蒸発しています。
実家で、クリーニング店をしており、お金だけ置いて、2〜3日帰ってこない時は、もともとありました。
とうとう、母親が家に、帰ってこなくなってしまい、大東俊介さんは、中学2年生から、1人暮らしを押し付けられたようです。
母親が、残して行ったお金が、無くなると、店のレジに入っていたお金で、駄菓子を買って、空腹を紛らわしていました。
レジのお金も、無くなってしまい、1円玉を、かき集めて「どんどん焼き」を、買っていてようです。
こんな生活を、していた大東俊介さんは、「自分は、社会に出たら、ダメな人間なんだ」と、感じるように、なってしまいます。
このような感情がきっかけとなり、家に引きこもっていると、数人の友達が、大東俊介さんの、自宅のドアを、壊して助けに、来てくれます。
助けに来てくれた、友達の中の一人が、小林圭輔さんだったようです。
小林圭輔さん達は、大東俊介さんの家に、尋ねに来るだけではなく、自宅に、呼んでくれて、友達の母も、豪華な食事を、振る舞ってくれました。
豪華な食事は、大東俊介さんの、生活を、分かっていたため、友達の母親が、食べさせるように、作ってくれたものだったようです。
助け出された大東駿介さんは、親戚に引き取られ、我が子のように、可愛がられ、今となっては、芸能界にも参戦して俳優として、頑張っています。
大東俊介さん自身も、この時のことで、生活が変わり、本当の意味で人生の「ターニングポイントだった」と話しています。
小林圭輔(金属バット)の出身高校はどこ?
小林圭輔さんの、出身高校は、大阪府堺市立工業高校材料システム科となっています。
堺市立工業高校は、共学校となっていましたが、現在は閉校してしまっているようです。
小林圭輔さんは、この高校で、溶接などを学んでいました。
「金属バット」としての相方である、友保隼平さんとは、高校の同級生として、この時に、知り合いました。

小林圭輔(金属バット)の最終学歴や偏差値は?
文化祭などで、小林圭輔さんは、お笑いを披露していましたが、当時は、お笑いを、本気で目指す気もなかったので、高校を卒業した後は、大学にも行かずに、就職しました。
なので、小林圭輔さんの、最終学歴は、高卒となっており、偏差値は43になります。
就職を一度しているにも関わらず、人前で表現する仕事がしたいという願いもあり、20歳になった、2006年に、友保隼平さんと二人で、吉本興業の養成所である、「吉本総合芸能学院NSC」に、入社しました。

NSCでは、高校時代の芸風を変えており、一からやり直したようです。
「金属バット」は、2018年に「M-1グランプリ」の準決勝にも、勝ち進んでおり、注目を集めました。吉本興業に所属しているコンビの中でも、ライブの出演が、かなり多いことでも、有名のようです。
まとめ:小林圭輔(金属バット)の出身中学校や高校はどこ?
金属バットは現在では、まだブレイクとまでは、いきませんが、「ネタバレ」や「アメトーク」などの、準レギュラーにも採用されているので、今後の活躍が楽しみです。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。