今回は、東京オリンピックで柔道男子90キロ級の日本代表に選ばれている向翔一郎さんの経歴について調べてみました。
向翔一郎さんの出身地はどこになるのでしょうか?
また、向翔一郎さんの出身中学校や高校はどこになるのか調べてみました。
なんでも向翔一郎さんは大学に入ったらアメフト部に入る予定だったそうですが、どうして柔道のままなんでしょうか?
向翔一郎の出身地はどこ?

向翔一郎さんですが、富山県高岡市出身となっていますが、その経歴を見るといろいろな所を転々としていました。
向翔一郎さんが柔道を始めたのは4歳のとき。
お姉さんについていく形と柔道を始めたそうです。
※本格的に向翔一郎さんが柔道に取り組み始めたのは小学校4年生の時とのことでした。
ちなみに師範は向翔一郎さんの父親の吉嗣さん。
父親の吉嗣さんてきには4歳の向翔一郎さんにはまだ柔道をやらせるつもりはなったかそうです。
で、その後、向翔一郎さんは小学校1年時に新潟県に移り住んでいます。
が、中学校や高校を見ると富山県なんですよね。。。
この小学校の時に富山県に移り住んだ理由はなんでしょうか?
向翔一郎さんと家族が受けたインタビューでは「家族とともに転居。」
と記載があるので父親の仕事の関係で転居されたようですね。
向翔一郎の出身小学校や中学校はどこ?

向翔一郎さんですが小学校1年生時に新潟県に移り住んでいます。
そのときに通っていた道場は白根柔道連盟凰雛塾とのこと。
白根柔道連盟凰雛塾(しろねじゅうどうれんめいほうすうじゅく)
〒950-1214 新潟市南区上下諏訪木1775番地1
白根カルチャーセンター柔道場
になりますが、出身小学校までは分かりませんでした。
ただ、小学校時代に通うということで、上記の白根カルチャーセンター周辺にある小学校が向翔一郎さんの出身小学校だと思われます。
近隣にある小学校は
- 新潟市立小林小学校
- 新潟市立白根小学校
の2校になるのでこのどちらかではないでしょうか?
で、この2校に絞って検索してみるとどうやら白根小学校を卒業されたようです。

新潟市立白根小学校
〒950-1217 新潟県新潟市南区白根1407
ちなみに白根柔道連盟凰雛塾の練習はめちゃくちゃきつかったと、のちに向翔一郎さんは語っています。
ただ、そのれ練習の成果もあってか、小学校4年生時に「全日本少年武道錬成大会」の低学年の部でブロック優勝をはたしています。
向翔一郎の出身中学校はどこ?
向翔一郎さんの出身中学校ですが、向翔一郎さんはここでも引っ越しをされているようですね。
向翔一郎さんが出身中学校としてプロフィールにあげているのは雄山中ですが、その前に一度、東京に出られています。
東京では柔道の名門・講道学舎に入門されていました。
講道学舎とは東京都世田谷区にあった柔道の私塾で、2015年3月に閉塾されていますが、吉田秀彦さんや大野将平さんなどが名だたる人は出身者としていました。
ちなみにそのときに通われていた中学校が「世田谷区立弦巻中学校」というところでした。
世田谷区立弦巻中学校
〒154-0016 東京都世田谷区弦巻1丁目42−22
ですが、ハードな練習で体重が落ちるという有名な講道学舎ですが、先輩たちとの立ち回りなどが上手く、上の人から可愛がられた向翔一郎さん。
なんと体重が10キロも増えてしまったそうです。
講道学舎で体重がここまで増えたのは向翔一郎さんが初めてだったとか。
で、その環境に安住しなかったのが向翔一郎さんの凄い所。
向翔一郎さんはこの環境は自分には合わないということ、故郷の「富山県立山町立雄山中学校」に中学2年から通うことにします。
立山町立雄山中学校
〒930-0221 富山県中新川郡立山町前沢3318
そのため、向翔一郎さんの出身中学校は「世田谷区立弦巻中学校⇒立山町立雄山中学校」となります。
ただ、講道学舎帰りということでちやほやされたということと、向翔一郎さん自身のプライドがあってあまり練習に身が入っていなかったようで、中学時代は目立った成績は残せていませんでした。
向翔一郎の出身高校や大学は?大学ではアメフト部志望だった?

向翔一郎さんですが地元の中学校を卒業後、地元の高校に通われます。
それが、「高岡第一高等学校」になります。
高岡第一高等学校
〒933-0947 富山県高岡市本郷2丁目1−1
ただ、中学生時代と同じくあまり真剣に練習に取り組んでいませんでした。
そのせいか中学時代には簡単に勝っていた同級生に試合であっさり負けてしまったそうです。
そのことが凄くショックだったみたいで、そこから真剣に柔道に向き合うようになったそうです。
その後は柔道の練習に加え、ウエイトトレーニングなどもも実施、高校3年生の時にはインターハイの81㎏級で5位に入るほどでした。
ただ、高校卒業後は柔道を辞めてアメフト部に入る予定だったそうです。
ちなみにアメフト部に入ろうとした動機は「格好いい」という理由だそうです。
その才能が惜しい。。。
ですが、日本大学から柔道選手としてスカウトがきたのと、母の成美さんの「柔道で日本一になったら(アメフトを)やっていいよ」という言葉で大学に入ってからも柔道を続けたそうです。
向翔一郎の出身大学は?
向翔一郎さんの出身大学は「日本大学」になります。
大学1年生時に全日本ジュニア大会で優勝しました。
ただ、そこでアメフト部に!とはならず、「欲深さが出て柔道をやめられなくなった」と向翔一郎さんが語っていました。
ですが、その後も全日本ジュニア大会を連覇したり、全日本学生体重別選手権大会でも優勝したりしたそうですが、そこで慢心してしまったのか、練習への遅刻など生活の乱れが目立ち、指導者と対立して、大学4年生の時に柔道部と柔道部の寮を追い出されたそうです。
そのことに対して父親の吉嗣さんは「うぬぼれている」、母親の成美さんも「柔道はやめてしまいなさい」と叱咤したそうです。
だが、そこで柔道を辞めることなく新しくアパートを借りて、他の大学に出稽古することになり、自分を変えていったそうです。
ちなみに日本大学の柔道部の指導者の方も便宜を図ってくれたんじゃないでしょうか?
じゃないと日本大学の生徒が他の大学で練習というのはなかなかできないので、その大学の柔道部の指導者の方に話をつけてくれていたと思います。
そうこうして、社会人になり18年のグランドスラム大阪で優勝、19年の世界選手権で2位になり、東京オリンピックの代表にまで選ばれました。
向翔一郎さんは2021年現在はALSOKに勤められています。
まとめ:向翔一郎の出身地や高校・中学校はどこ?東京から地元に出戻りしていた!大学ではアメフト部志望だった?
今回は、東京オリンピックで柔道男子90キロ級の日本代表に選ばれている向翔一郎さんの経歴について調べてみました。
- 向翔一郎さんの出身地は富山県ですが、小学校は新潟県。
- 出身中学校は東京に一度でて、中学2年ころに富山県の中学校に転校。
- 高校は富山県で過ごし、大学は日本大学となっています。
結構、点々としていますね。
色々紆余曲折があった向翔一郎さんの柔道人生ですが、波に乗ったときは凄いと思いますので東京オリンピックでも頑張ってほしいですね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。