安倍首相の辞任により、次期首相としても候補が上がっている菅義偉(すが よしひで)議員。
これまで、安倍首相の右腕として活躍してきましたが、若い頃がかっこいいと話題に!
野球のユニフォーム姿や柔道着姿が似合ってるんですよね。
この記事では、菅義偉議員の若い頃についてまとめています。
菅義偉議員の若い頃がかっこいい!
名前:菅義偉(すが よしひで)
生年月日:1948年12月6日
出身地:秋田県
最終学歴:法政大学第二部法学部政治学科卒業
秋田県雄勝郡秋ノ宮村(後の雄勝町、現、湯沢市秋ノ宮)出身の、菅義偉議員。
1948年12月6日、秋田県雄勝郡雄勝町にある農家の父・和三郎さんと母・タツさんの長男として誕生しました。
家族構成は、両親、お姉さん2人、弟さん1人で、お姉さんの職業は高校教師。
他にも母、叔父、叔母は元教員ということで、厳格な家庭で育ったと考えられます。
そんな家庭で育った菅義偉議員は、大学卒業後、建電設備株式会社(現、株式会社ケーネス)に入社。
しかし、「自分が本当にやりたいことは何か」をいつも考えてたそうです。
そして、「人生は一回きりだから自分の思うように生きたい」と考えるようになり、本を読んでいました。
そんな時に
「この世の中は政治が動かしてるんじゃないか」
「政治は世の中の根幹だ。そこがいちばん面白そうだ。日本を変えたい。」
と思い、政治家を志すようになります。
大学の学生課とOB会を訪ねた、菅義偉議員。
「法政出身の政治家を紹介してください」と頼み込み、その結果、第57代衆議院議長中村梅吉秘書の紹介で衆院議員・小此木彦三郎さんを紹介されました。
当時、菅義偉議員は26歳。
横浜の事務所で、11年間秘書務めていました。
1984年、小此木彦三郎さんが通産大臣に就任。
菅義偉議員は、大臣秘書官に抜擢されました。
このことがきっかけとなり、政治の世界を勉強していったそうです。
1987年には、37歳で横浜市会議員選挙に出馬し、初当選となりました!
菅義偉議員の若い頃がかっこいい!野球のユニホームが似合ってる!

小学校時代からスポーツ万能。
当時は、相撲、野球、バスケ、陸上、スキーの選手に選出されるほど実力があったほど。
その後、雄勝町立秋ノ宮中学校(現、湯沢市立雄勝中学校)に進学。
中学では野球部、サードで1番打者で出塁率4割近くあったそうです。
当時、野球部に所属していた際、菅義偉議員は、バットを投げ出すような変わった打撃フォームでした。
このことで先生に注意を受けるも、「自分はこっちのほうが振りやすいから」と自分を貫いていたそう。
現在の、菅義偉議員のイメージとは少し違いますよね(^^;
中学校卒業後は、秋田県立湯沢高校に進学しました。
菅義偉議員の若い頃がかっこいい!柔道着が似合ってる!

このことから、かなり田舎というか不便な街ということが想像出来ますね。
一番近い高校にも関わらず片道2時間かかったためか、部活は続けられなかったそうです。
また、高校での3年間は進学組に所属。
部活にがない分、勉強に力を入れていたかもしれませんね!
ちなみに、菅義偉議員の地元では同級生の友達120人のなか、高校進学は30人ほど。
農家を継ぐという選択肢はが多い可能性があります。
菅義偉議員も父から農業大学校への進学を勧められたことがあるそうですが、断ったようでした。
そして、高校卒業後は集団就職で上京。
上京した理由として、
「親戚が教師だらけだったのでそれだけはなりたくなかった」
「家業を継ぐ為に、父親に農業大学進学を勧められるも断ったから」
という背景がありました。
そのため、「東京に行けばいい事があるんじゃないか」と家出同然で上京。
1973年には、大学を卒業。
上京後、板橋区の段ボール工場に勤務するも、2カ月で辞めてしまってしまった菅義偉議員。
現実の厳しさを痛感し、どこかの大学に入らないとマズイと思い始めた結果、当時私立大学の中で一番学費が安かったという理由で法政大学第二部法学部政治学科へ進学します。
入学後は、ガードマンや新聞社の雑用、カレー屋などのアルバイトで生活費と学費を稼いでしました。
大学時代、アルバイトをしながら、剛柔流空手動部に入り三段を取得します。

引用:https://www.jkf.ne.jp/wp-content/themes/jkf-child/pdf/ayumi/ayumi_vol9.pdf
空手部では、1年生と4年生との間の絶対的な力の差があり、厳しい縦と実力の世界だったそうです。

引用:https://www.jkf.ne.jp/wp-content/themes/jkf-child/pdf/ayumi/ayumi_vol9.pdf
1、2年生の頃は「これほど厳しくする必要があるのか」と疑問を感じることも多かった菅義偉議員。
「何の意味があってこのように理不尽なことをさせられるのか」と苦労する事が多々あったそうですが、4年生になり厳しかった意味を理解出来たと話していました。
空手を始めたのは「厳しいところで自分を鍛えたい」と、思ったことからのようです。
まとめ
菅義偉議員の若い頃についてまとめました!
空手をやっていたのは少し意外ですよね。
政界においての菅義偉議員は少し落ち着いた雰囲気ですが、学生時代の考え方はとても大胆。
とても行動力がある人物です!
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それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。